N.Wienerの著書Cybernetics(1948)には“control and communication in
The animal and machine“という副題がついており、著者はその1章で、いまはサーボ機構の時代であり、機構の基本要素について述べられるべきことがらは通信工学の課題であると言っています。
ところで通信の自動化、ないしコンピュータ支援のディジタル通信が頭角を現すのは1965年近くからであり、その後、これにマイクロプロセッサとPCの発明が加わり、さらにネットワーキングが絡まって、ネットワーク上の生活世界が一挙にグローバル化しました。これが21世紀の“いま”であり、脳をコスモスになぞらえれば、これをWienerの予見とみなすことができます。
しかし、この新たな生活世界はコンピュータ支援であるがゆえに、模写、模倣、模擬、模造、偽造を内包するシミュレーションをその文化の基底とすることの必然として、社会相は激しい変化、多様化を伴いながら流動して已みません。それゆえに人々は、数多くの、過去の頑なな社会的制約から解放されるとともに、そのことが、いままでの自己の存在を委ねてきたものの喪失につながって、裸の身体を露呈せざるをえなくなりました。
いま大学の3年生たちは例外なくスマホなどのケイタイを手にして会社説明会に詰め掛けています。彼らはネットワークを介してほぼ完全な接続の状態にありますが、身元引き受けの保証があるわけではなく、断絶が見え隠れしています。この格差のなんと大きいことか。
いま彼らの身体は次なる文化を求めることを喫緊の課題としていることでしょう。それは一体なにがもたらすのか。激動するこの時代を招来したのは情報技術であったのと同じようにして、未来社会を新たなテクノロジーの上にのせるしかないのではないでしょうか。人・身体・脳・知能・言葉の融合研究を基底にした、これから育つ、革新的テクノロジーが期待されます。彼らはそれらを用いて新しい表現法と新しい言語を創発し、コミュニケーションの新形式を見つけて時代に応じたコミュニティーの創造に勤しむことでしょう。若手研究者の活躍を待つことや大であります。