人工知能(AI)が暮らしから経済まで様々な場面で活用されるようになってきた。「AIが仕事を奪う」との懸念も出るが、少子高齢化の日本でAIを活用しない手はない。"と、これはある新聞の元旦号の書き出しの1行です。AIが社会の役に立つと期待されているのだと思います。
この広がりを見せ始めたAIは、機械、エレクトロニクス、ロボット、身体、脳、生物、化学、物理、認知、心理、社会、哲学、人文、芸術、あるいはエンターテイメント、・・・と、人間を取り巻くあらゆる分野と関係を持ちながら、その地平が拓かれていくと思います。
いまAIへの注目は、車の自動運転から、人のサイボーグ化、人の感情や感性に関わる技術まで、あらゆる分野に及びます。AI技術の地平は何処まで広がるのでしょうか。
AI技術の進歩に人はどのような対応が求められるのでしょうか。AI・ロボットと共生する社会のあり方が問われます。ネットに繋がったAIは、知識を蓄積し知能を拡大しどんどん知能を強化していくでしょう。汎用AI実現の声も聞こえ、AIの知能が人間を超えるという予想もあります。人間は人間が創り出した神に支配されたように、人間は人間が創り出したAIに支配される存在になるのでしょうか。AIには意識がありません。意識を持たない強大な知能が人間を支配することになるのでしょうか。人間(ホモサピエンス)は、AIを操る能力を備えた一握りの人間と無用な大多数の人間の2つの階級に分断され、新しい種の誕生を意味することに繋がるのでしょうか。人はどこから来たのか、人はなにものか、人はどこへいくのか、の問いが突きつけられることになります。
それとも、知能と意識が備わっている人間は、AIを、人が人らしく生きることを助ける存在にすることができるのでしょうか。そのためには技術の進歩と共に人はそれに応じて変わって行かねばならないでしょう。人を変えるのは教育を通してです。人が人らしく生きる社会に向けて教育は欠かすことができないでしょう。
10年ほど前に出版された「機械との競争」で、エリック・ブリニュルフソンとアンドリュー・マカフィーは、現在指数関数的に拡大進行中のコンピュータによる第3次産業革命の中で健全な経済活動を維持する対策の第一に教育を上げていています。
さらに20年ほど以前に、当時ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジのサー・ジョン・ボイド学長が、次のように述べているのを思い出します。「人が最初に選んだ職場で一生を過ごすということは、今後ますます難しくなるでしょう。個人の想像力、適応力を伸ばすため、教育に与えられた社会的責任はそれだけ重くなります。産業の高度化を主導するとともに、それに同伴していける人材をつくるという二重の責任を果たさねばなりません。努力を怠った場合の未来図を創造するだに、恐ろしいものがあります。」
今、これから拓くAIの地平を見つめて、最先端で活躍されている研究者に集まっていただき、現在を知り未来を見つめ自由に討論を展開していただければと思います。
(世話人代表 名古屋大学・愛知県立大学・豊橋技術科学大学 名誉教授 稲垣 康善)